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鶴川落語会 解説文

会場でお配りしているプログラム掲載の解説文です。

第二十一回鶴川落語会 夜の部 雲助・一朝二人会  2016/5/14開催

 

二人の巨頭Ⅱ

 

 第二十一回夜の部は、古典落語の本格派の江戸っ子、五街道雲助、春風亭一朝のお二人をお迎えしての開催である。お二人はそれぞれ、今昼の部の白酒、一之輔のお二人の師匠である。

 

 五街道雲助さんは、1948(昭和23)年、東京都墨田区の本所北割下水に生まれ。68年に十代目(先代)金原亭馬生師に入門して、金原亭駒七。72年に二ツ目となり六代・五街道雲助となる。ちなみに、六代目となっているが、文献的には定かではなく、馬生師に手ぬぐいの柄をお願いしたら「六代五街道雲助」と勝手に入れたためとのことである。80年、今や伝説となっている、真打ち昇進試験に合格。翌81年3月真打ち昇進。2009年に芸術祭優秀賞、14年芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)などを受賞している。圓朝ものや廓噺を得意とする。中でも怪談噺は、押し出しの強い声質とも相まって、ファンを魅了する。また、滑稽噺においても、柳家小里ん・柳亭小燕枝師の両師と柳噺研究会という落語会を定期的に開いている本格正統派落語家である。お弟子さんは、本日昼の部の桃月庵白酒師の他、隅田川馬石師、蜃気樓龍玉師の三人を育てた。五街道には雲助以外の名跡がないという理由で、それぞれに埋もれていた名跡を復活して、襲名している。

 

 春風亭一朝さんは、1950(昭和25)年足立区に生まれ、68年に五代目(先代)春風亭柳朝師に入門。70年より前座となり春風亭朝太郎。73年に二ツ目に昇進して一朝に一朝という名前は、大師匠の八代目林家正蔵(彦六の正蔵)が、かつて数多く稽古をしてくれた、三遊一朝翁からのもので、大師匠彦六師の思いがこもった高座名である。82年真打ちに昇進。その後、84年に花形新人大賞、86年芸術祭賞優秀賞などを受賞している。NHKの時代劇では、江戸言葉指導として数多くの番組に関わり、また二ツ目時代は、特技の笛で、歌舞伎座の下座を務めていたほどの実力で、大師匠の彦六師の、系譜でもある歌舞伎名人譚や芝居もの、音曲噺などを得意とする。一朝さんも雲助さん同様の本格正統派の落語家である。お弟子さんも直弟子が、当代の春風亭柳朝師に、今昼の部に登場の一之輔師、以前鶴川落語会に登場頂き来年3月に真打ち昇進の朝也さんの他、二ツ目三人、前座四人。さらには孫弟子に前座一人という、今や大所帯の一門である。

 

 本格派のお二人の揃い踏みとなった今落語会、本格派揃いだからといって、ハードルが高くなることはこのお二人にはない。今日初めての人でも充分に安心して楽しめる。本格派の中でも、違う個性を充分に楽しんでいただけるお二人なのである。

 

 さて、今宵何が飛び出すのか?一番楽しみにしているのは、何を隠そう筆者なのかもしれない。お客さまには申し訳ないが・・・(笑)

第二十一回鶴川落語会 白酒・一之輔毒吐き二人会Vol.5  2016/5/14開催

 

弟子(こ)をもって知る師心(おやごころ)!

 

 五月を迎え、職場や学校では四月に迎えた新人達も、やっと場に慣れてきたところではないだろうか。

 

 落語界では、四月は関係なく、入門者がそれぞれの噺家の門を叩き、断られながらも、日参して入門を許され、落語家の入り口に立つ人達が多い。現在では、搭載合わせて落語家の生息数が七〇〇人とも八〇〇人ともいわれている。

 

 今日ご出演の白酒さん、一之輔さんにもお弟子さんがいらして、今日の高座の高座返し、下座の太鼓や四助(鐘)、楽屋廻りの気働きなどに精を出しくれている。彼ら(今日は男性だけなので)は、師に惚れ、師に近づきたくて、入門したに違いない。それは、白酒・一之輔の両師もそうであろう。ちなみに、白酒さんの師匠は夜の部出演の雲助さんで、一之輔さんの師匠は同じく夜の部出演の一朝さんである。

 

 お二人の入門エピソードは、それぞれの著書、「白酒ひとり 壺中の天」「一之輔、高座に粗忽の釘を打つ」(いずれも、落語ファン倶楽部新書)に譲るとして、昨今の落語入門事情をみていると、従来多かった「高校・大学の落研からの入門」や「社会人が落語家になる夢を諦められなくて」というケースの他に、「俳優を志していたが」や「ピン芸人をやっていましたが」というケースが増えてきたような気がする。

 

 俳優の場合、劇団などの養成所を経て、舞台・テレビ・映画などのオーディションを受けまくり、役をもらって役者としてステップアップしていくのが一般的だろう。芸人の場合は近年、マネージメントプロダクションの養成学校を経て、プロダクションのライブに登場し、舞台やテレビに登場して人気者になっていくケースが多い。

 

 一方落語家は、養成所などもなく、落語家である先人(師匠)に弟子入りしなければならない。そして、師の下で「前座修業」を重ね、二ツ目となって、初めて一人前の落語となっていく。ただ単に落語をやるだけなら、天狗連(アマチュアの落語者)という道もあり、それは江戸の昔にも存在していたし、新聞記事になる天狗連も存在する。

 

 師と弟子は、いわば疑似親子であり、先天的ではないので、気が合う合わないで解消することもあろう。弟子は時には我慢し、怒られながら、落語家としての矜持を学び、落語家となっていく。そこには、確かな社会的保障は何もない。あるとすれば、それは絆なのだろうか。俳優やタレントから、落語家に転身する人達は、師と弟子という、不確かだが確固とした絆を求めて、落語の世界に乗り換えるのであろう。概して、日本の伝統芸能は、師弟の関係に基づいてはいるが、全くの無償で、受け継がれている。そして、それは三〇〇年も続いているのである。

 

 白酒・一之輔の両師も三〇〇年の伝統のバトンをつないだ。おそらく、師の背中を見てのことに違いない。

第二十回鶴川落語会 夕の部 さん喬・権太楼二人会  2016/3/27開催

 

二人の巨頭

 

 鶴川落語会もおかげさまで、三周年・二十回を迎えることができました。これも毎回それぞれにお運びいただいたお客様のお陰です。

改めて感謝申し上げます。その栄えある記念の回の夕の部は、柳家の重鎮、柳家さん喬・柳家権太楼の両師匠をお迎えしました。

 

 お二人の会は、上野・鈴本演芸場の毎年8月中席や新宿末廣亭の暮れの恒例番組としても人気も高く、特に末廣亭の二人会は、落語納めとして、毎年足を運ばれる方も多い。今回は三周年・二十回記念にかこつけ、人気のお二人の会を開催させていただいた。

 

 武蔵と小次郎、長嶋と王、矢吹丈と力石徹・・・

そして落語界では、圓生と正蔵、志ん朝と談志・・・

日本人は二人のライバル関係が好きだ。さん喬さんと権太楼さんも同じ柳家でありながら、とかくライバル関係に見られがちな二人である。

 

 さん喬さんは、48年本所生まれ。浅草にほど近いこともあり、幼い頃から祖父などに連れられ、寄席に通う。67年に五代目柳家小さんに入門して、本名を取って小稲。68年初高座。72年にさん喬で二ツ目に。滑稽噺はもとより人情噺にも人気が高く、四季折々を色鮮やかに描いた叙情的マクラや繊細な噺の運びや物腰・所作、で女性のファンも多く、いわば“文芸落語”とでもいう独自の落語の世界観を描いている。

 

 一方、権太楼さんは、47年滝野川生まれ。明治学院大学落語研究会で活躍(創設者の一人)。70年に五代目柳家小さんの高弟、五代目柳家つばめに入門して“ほたる”に。つばめ他界後の74年に大師匠・小さん門下へ。75年、さん光で二ツ目。82年に18人抜きで真打ちに抜擢。爆笑派の総帥格として、滑稽噺に人気が高く、追い込まれた人の叫びやさりげない間で、高座に笑いの渦もたらす一方、最近は情感触れる圓朝ものや人情ものでも、師らしさあふれる、権太楼ワールドを展開している。

 

 芸風的には対極にあるか見える二人だからこそ、寄席のような番組の流れやアンサンブルに観客は魅了される。若手の頃から切磋琢磨し、落語会の重鎮としての存在感をもたらしているに違いない。

 

 一方、根底にある二人の共通点は、とにかく“落語愛”の強さであると思う。生活のほぼ全てが、落語に向かい、高座となればどこでも出向くパワーは、他の落語家と比べても、傑出している。また、今でも、新たな課題に取り組み、ネタおろしも何席か行っている。団塊の世代のしぶとさを見せている二人でもある。これからは、体調に気遣いつつも、益々元気に大看板として活躍して欲しい。

 

 まずは、さん喬・権太楼両師が、どんな化学反応を見せてくれるか?今日の高座が、とても楽しみである。お客様も存分に楽しんで下さい。

第二十回鶴川落語会 昼の部 コワモテ三人会  ​2016/3/27開催

 

コワモテの優しさを堪能下さい!

 

 鶴川落語会もおかげさまで、三周年・二十回を迎えることができました。これも毎回それぞれにお運びいただいたお客様のお陰です。

改めて感謝申し上げます。その栄えある記念の回の昼の部は「コワモテ落語会」と称し、初御目見得の三遊亭白鳥・橘家文左衛門・林家彦いちの師匠方にお越し頂きました。

 三遊亭白鳥さんは、1963年新潟生まれ。高校時代がラグビー、大学(日本大学芸術学部)では空手部に所属、同時に童話絵本研究会にも所属し、そこでは後輩のあの吉本ばななに「君には才能がない」とクビを宣告したコワモテぶりなのである。大学を卒業後の86年に三遊亭圓丈師に入門。前座名は出身地から“にいがた”と名付けられる。これは、弟子達にも踏襲し、総領弟子が “あおもり”二番目の弟子(見習い中)は “ぐんま”である。早くから独特の世界観の新作〜落語の基本ルールにとらわれない落語〜で注目され、今や新作派のリーダー格の一人である。亡き古今亭志ん朝師より、上下などの基本を懇切丁寧に、教えられるという幸運にも恵まれているコワモテぶりなのである。

 橘家文左衛門さんは、62年東京生まれ(二日前に誕生日を迎えたばかり)。板前修業等を経て、86年に故・橘家文蔵師に入門。“かな文”で前座に。二ツ目時代は“文吾”、真打ちになって文左衛門。白鳥師と共に迎えた真打ちの披露目の直前に亡くなるなど、波乱含みの落語生活を送るも、今年9月下席から、師匠の名・文蔵を襲名する。昨年、一番弟子が“かな文”で楽屋入り。文左衛門さんと共に前座修行をした後輩真打ちが“かな文”聞くだけで今も身震いするというほどに怖かったとのこと。一方、師匠の文蔵師は軽快で優しく楽しい落語で知られ、学校寄席などではひっぱりだこ。演目の幅も広く、多くの噺家が彼に稽古をつけてもらっている。そんな師の名を冠した「文蔵コレクション」という勉強会を長く続け、師の演目を引き継ぐ努力家でもある。

 林家彦いちさんは、69年鹿児島生まれ。高校時代にまでは柔道を、国士舘大学文学部地理専攻に進んでからは空手部に所属するというコワモテぶりである。平成元年の89年、林家木久蔵(現・木久扇)師に入門。“きく兵衛”となる。二ツ目昇進と共に、彦いちとなる。彦いちワールドともいうべき、独特の世界観を展開する落語で、白鳥師同様、新作落語のリーダーの一人である。そして、古典落語でも爆笑の世界に誘う巧者でもある。昨年はエベレストに挑む落語界随一のアウトドア派で、寄席の合間のキャンプ活動にも余念がないコワモテぶりなのである。

 三師のコワモテぶりは、これでご理解いただけたかと思うが、高座ではその三師の繰り出す落語の登場人物たちへのそれぞれの優しいまなざしを感じられるに違いない。一見怖い人ほど、実はとても優しかったりするのかもしれない。

第十九回鶴川落語会 扇辰・談笑二人会 その二​  2016/1/30開催

 

話芸と現代性

 

 

 扇辰さんと談笑さんは、二〇一四年十一月二十九日(土)以来の登場である。その時の演目は、扇辰さんが「雪とん」と「井戸の茶碗」、談笑さんが「猿の夢」と「時そば」だった。

 扇辰さんの「雪とん」は今あまり手掛ける人のいない、どちらかというとシブい古典落語。もう一席の「井戸の茶碗」は今や大看板から若手までが広く手掛ける講釈種で、今やポピュラーな大ネタの一席。一方、談笑さんは、ご自身で創作した「猿の夢」と、落語を代表する演目の中でも多くの人に馴染みのある「時そば」。どれも、お二方の持ち味あふれる逸品の高座であったと記憶している。

 扇辰さんは、平成元(一九八九)年、昨年亡くなられた九代目入船亭扇橋師に入門、平成十四(二〇〇二)年に真打ちに昇進している。ほのぼのとした語り口が持ち味で独自の世界を描いた扇橋師の下で、古典の本格派の一翼を担い、落語界に於いて重要なポジションに立っている。師から受け継いだ演目も多い。

 談笑さんは、平成五(一九九三)年、今年で亡くなって五年になる七代目(自称五代目)立川談志師に入門、平成十七(二〇〇五)年に真打ち昇進。早い時期から、情報番組のレポーターとしても活躍し、「まずは売れてこい」という師の薫陶を実践し、メディアでも大活躍。落語に於いても古典に新作と幅広く活躍する人気落語家である。

 一見、対照的に見えるお二人のプロフィールではあるが、現代を生き、現代の人に語る落語家としては、同じ方向を見ているのに違いない側面もある。それは、落語における現代性である。両師の師である、扇橋師が伝統の上に立脚し、古典落語の世界観で今の落語を見つめ、談志師が現代を意識しモガキながらも、江戸の風を意識していた。両師の大きな違いは、アプローチの仕方の違いのような気がする。そうでなければ、その時代に語り部としては、活動し得ないのではないだろうか?

 扇辰・談笑のお二人にも、それが言えるのではないだろうか。ただその違いは、それぞれの持つ現代性の矩(のり)の違いに過ぎない。いろんな意味で育まれてきた環境や場、経験の違いが矩(のり)を形成している。現代性への踏み込みや伝統の守旧の程が、表現の違いとして表れて、それがまたそれぞれの持ち味となって、落語に表現されていく。そしてそこは、現代性が克っても、伝統性が勝ちすぎてもいけない、微妙なバランスなのだと思う。

 ・・・と、一見小難しいことを記してしまったが、扇辰、談笑のお二人は、会場に足を運んだ皆さんを必ず楽しませてくれるに違いない、ということである。もちろん、その楽しませ方は、それぞれに違う。二人の個性のぶつかり合い、それが、二人会の醍醐味でなのある。

第十七回鶴川落語会  権太楼たっぷり!その二  2015/10/10開催

 

権太楼さんが演目を出している理由(わけ)

 

 

 権太楼さんには、2013年5月11日(土)の第二回以来の登場をお願いした。前回は「寝床」と「居残り佐平次」の二席を口演いただいた。今回は「子別れ〜通し」ともう一席。これまで十六回会を重ねてきた鶴川落語会ではあるが、公演企画(第十二回の公演)に関係なく演目を事前に公表する“ネタ出し”をしているのは、権太楼さんだけである。

 

 当会は、鶴川の地に、ここポプリホールが竣工したことをきっかけに始まった落語会で、選りすぐりの本格落語を落語ファンはもとより、いろんな方々にご覧いただきたく始めたものである。特に、地元・近隣の落語ファンには、気軽に寄ってもらえること眼目としている。ある意味“鶴川の寄席”を目指している。

 企画ものは別にして、定席と呼ばれる寄席では、演目の事前発表はない。当会も、お客様にお越しいただいた際のサプライズとして、演目を決めることはしないつもりであった。しかしながら、権太楼さんからの申し入れで、ネタ出しをしている。

その心は?

 

 「半月板を痛めた(※2012年秋のこと)後のリハビリで、空手の道場に通ったの。そこで知り合った同年配の仲間が、寄席を見に来てくれた時に、『とても、面白かったけど、何をやっているわからなった』って言われたのね。だから、鶴川ではネタ出ししよう!落語に馴染みのない人にも、より素直に楽しんでもらいたいから」とのことだった。ちょうどそんな出来事の直後に、そんなことはつゆ知らず、当会は出演をお願いしたのだった。

 

 ネタ出しの落語会は、落語家の個人的な、あるいは仲間同士の勉強会の他は、ホール落語で行われている。ホール落語とは、大人数を収容できる劇場・ホールなどで、複数の落語家が事前に演目を発表し、月一回、あるいは年間に十回などと、定期的に開催されている落語会の事である。(最近は、大きな会場でやっていれば、何でもホール落語と呼ぶ傾向にあるが、ホール落語とはそういうものではない)

 

 鶴川落語会では、基本的にはネタ出しをしないことを基本に今後も進めていくであろう。しかし、いろんな企画にチャレンジし、時には全演目発表の

“ホール落語的”鶴川落語会にチャレンジするやもしれない。まだまだ発展途上の鶴川落語会、今後にご期待いただき、応援いただければ幸いである。

 

 まず今日のところは、権太楼さんの「子別れ」ともう一席、そして二ツ目として初登場のさん光さんの高座に、たっぷり浸っていただきたい。そして、その余韻で「鶴川で一杯」というのも良いのではないだろうか。もちろん、リアルな「子別れ」にならない程度にほどほどで・・・(笑)

第十六回鶴川落語会 白酒・一之輔毒吐き二人会Vol.4 〜夏の怖〜い噺〜

2015/7/25開催

 

落語が紡いでいく未来

 

 

 真打ちになって、白酒師は十年、一之輔師は三年。落語家としては、一番ぎらぎらして脂が乗りきっている時期である。

それを示すかのように、二人の高座数は飛び抜けて多い。

しかも、一般客を相手にしたものがとても多い、人気者の二人なのである。

それは、落語・演芸界唯一の月刊情報誌「東京かわら版」の毎月の出演者別掲載日索引を見れば明らかである。

高座数が多いということは、それだけ落語の実演機会が多い、ということであり、それだけ落語を磨く機会も多いということである。実演ほど最良の稽古は無いといっても過言ではないだろう。

 

 しかしながら、アウトプットを繰り返していると、演者自身のパワーがどんどん枯渇していく。

マンネリにも陥りがちである。必然的にインプットもしていかなければならない。

落語家にとってのインプットとは、新しい演目を覚え、身につけ、自分のものにすること。

そして、落語以外のものを観聞き体験して、落語に生かしていくということも、とても大事なことなのである。

そうやって、自身の落語力の可能性を広げていくことが、落語界全体の発展につながっていくのだと思う。

 

 そして、そんなお二人は、それぞれにお弟子さんを取った。

アウトプット機会がたくさんある上に、インプットもしていかねばならない。そして弟子の育成も!

実に落語家はたいへんなのである。しかし、後進を育てていくことも、落語が紡いでいく未来につながる。

 

 落語ファンとしてはつなげてもらわなければ困るのである。お願いします、白酒さん、一之輔さん!

第十五回鶴川落語会 白酒・一之輔毒吐き二人会Vol.3 〜夏の暑〜い噺〜

​2015/7/25開催

 

スポーツと落語のアツ〜い類似性

 

 

 白酒・一之輔の両師は、鶴川落語会に三度目の登場となる。

 落語家の中でも、特に多忙なお二人。落語・演芸の情報誌「東京かわら版」の索引を見ても,その高座数の多さでは

文句なくツートップ。現在の落語界の牽引者であることは間違いない。

そして、この両師の落語はいろんな意味でアツい!その理由を考えてみるに、白酒師は甲子園を夢見て三年間、

野球に勤しんだ高校球児であり、一之輔師は高校でラグビー部に入部、短い期間だったらしいが、

花園を夢見たラガーマンだったからなのかもしれない。

 

 落語はとかく、個人芸として完結しているように思われがちではあるが,登場する落語家の個性・持ち味を吟味しての

流れが大切になる。ネタ出し(演目の事前発表)のホール落語会では、プロデュース側が特に腐心するところでもあるが、

寄席などにおいては、落語家自身がその場で思案し、即興的に作って行く。これは野球・ラグビー等の、

チームスポーツにも共通することではないだろうか?

 

 試合状況に応じて、投球内容を変化させる指示を出す捕手。その指示に応じる投手。それにより投げられたボールを

どう打つか瞬時に判断する打者。打たれた球を走者の状況に応じて、捕球しどこに投げるかを決める野手。

ラグビーもパス回しや、ボールを蹴り上げるか突進するか。スクラムやモールからボールを出すタイミング等々。

落語会に置き換えると前方が与太郎できたなら、こちらは花魁を。江戸っ子が来たなら、若旦那にパス。

泥棒がしくじったら、大家がフォロー、って具合だ。

 

 本日、両師はどんなチームプレーを見せてくれるだろうか?

第十四回鶴川落語会 未来の大器 四派若手実力派 揃い踏み!  

2015/5/9開催

 

東京の四派、そして若手

 

 

 東京の落語会は、四派に分かれている。都内にある四つの定席を活動拠点とする落語協会、その内の三カ所を拠点とする落語芸術協会。そして落語協会を離れた五代目円楽一門会と立川流である。協会と芸術協会、協会と円楽一門会、立川流。当時いろいろな確執や葛藤があり、分かれていった。一番新しい分裂である1983年の立川流の設立から32年。もはや歴史の域に達する出来事である。

 

 四派それぞれに持ち味があり色合いがある。

 

協会からは朝也さん。一朝師の三番弟子。昨年のNHK新人落語大賞の受賞の他、様々な賞のファイナリストには必ず顔を出す。

 

芸協からは宮治さん。伸治師の総領弟子。二ツ目昇進早々でNHK新人演芸大賞落語部門大賞。毎回の奮闘口演で観客を楽しませる。

 

圓楽党からは萬橘さん。圓橘師の二番弟子。二ツ目時代に様々な賞を受賞して、現在真打ち。独特な空間を作っていく個性派である。

 

立川流からは志の春さん。志の輔師の三番弟子。アメリカの名門大学から商社を経て入門。経歴を生かした英語落語や著作も多い。

 

 今日勢ぞろいの四人は個性あふれる今を生きる噺家達である、さてどんなコラボレーションを〜どんな化学反応を〜見せてくれるか!未来の大器達の今を楽しんでいただきたい。

第十三回鶴川落語会  小満ん・喜多八二人会  2015/3/21開催

 

二人の柳家

 

 

今回は「柳家」のおふたりの登場である。

 

 「柳家」はもちろん名字ではなく、家号(いえごう)である。家族を示す名字とは違い、芸のつながりを示す一門を表したものだ。 柳家は、現在の東京落語界に於いては、最大派閥であろう。最大派閥となったひとつの理由は、現在の柳家の“総帥”の五代目柳家小さんに大勢の弟子がいて、育てたことによる。

 

 小満んさんは、元々は八代目桂文楽の弟子で、師匠の没後に小さん門下へ。元々五代目は四代目小さんの門下で、師の没後に八代目の門下となっていた。八代目が五代目にしたことを弟子に返したということだろうか。

 

 喜多八さんは、五代目の弟子・小三治門下。五代目の孫弟子。アナウンサーを志したこともあり、バラードの帝王と落語界では呼ばれている。

 

 先ほど家号は芸のつながりと記したが、それぞれの持ち味は違う。もちろん、小満んさんが八代目の弟子から落語人生を始めたという影響はあるには違いないが、それだけではない。個々の噺家がどう落語に向き合っているかがそこに表れるのではないのだろうか。 

 

 ちなみに、五代目は「芸は人なり」という至言をのこしている。今日の二人の柳家、その違いをじっくり味わって欲しい。

 

 

第十二回鶴川落語会  志ん輔・武春 新春・落語と浪曲競演!  2015/1/18開催

 

「夕立勘五郎」〜落語と浪曲と〜

 

 

 浪曲と落語は必ずしも相性が良くなかった。

 

 明治に入って発生・成立した浪曲は、笑いと人情の物語と話の展開を運ぶ音楽的な「節」廻しが多くの人に指示され、落語・講談などの定席であった寄席を席巻し、対立関係になった時代もあるという。

 

 大正になり、ラジオ放送の始まりと共に全国で大人気となり、同時に演者も増えた。その数は3000人を超えたらしい。

 

 そして第二次大戦後、ラジオが多チャンネル化し、広沢虎造などの人気と共に大ブームとなり、三波春夫、村田英雄、二葉百合子などの名歌謡歌手も生まれるほどであった。

 

 そんな浪曲人気を捉えて作られたのが、五代目古今亭志ん生作の「夕立勘五郎」。浪曲人気にあやかって作ったものであり、噺からは浪曲の威勢が伝わってくる。この演目、故・立川談志家元も口演していた。現在のやり手は志ん生の孫弟子で、今や落語界のリーダーのひとりである志ん輔さんぐらい。

 

 近年、浪曲界は、演者自体が少なくなり著しく衰退していた。入門者の空白期を破ったのが武春さんである。浪曲界の救世主である。

 

 今回は、そういう両界リーダーのお二人の初顔合わせの競演である。どんなコラボになるか?乞うご期待!

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